本日はどういうわけかピアノの練習を 一生懸命やっていました。

努力とか 必死に とか  そういうような言葉は大嫌いな私です。

そういう言葉は使わずに、 なんとなく高齢者という 年齢まで 生きてきた私ですが。

これからも、 あと何年生きられるかわかりませんが、 自分の好きなように生きて行きます。

ピアノの練習の時、先生に褒められました。

スゴイですね、お上手、さすが、天才的 と 褒め殺し

それから左指の 動かし方、は 右の 指の百倍 練習しなければ うまくなりませんが、すぐうまくなりますよ。 と なんか、 褒め殺しが上手くなった先生です。

色々と作戦を練ってきた感じです。

私は色々と雑談をして、 先生は、 私の書いた ブログを読んで、 何か 私のことをディスっていないと言い、

でも本当の事だから仕方がない。 と言い、 これでようやく 判りました。

やはり私のような 一筋 縄で行かない爺いに、 あの手この手と、 作戦を変えて、 褒め殺し作戦に、 来たようです。
でも 褒め殺し作戦は、 何か気持ちが良いもので、 先生と雑談を重ねて、 先生は、私のような おばちゃんでも、 必死に努力をしていると言い、

人からおばちゃんと言われると、 烈火の如く怒るのに、 自分ではおばちゃんと言って良いらしく、

大阪の 中年の男性は、 おっちゃんと呼び、 嫌いな おっちゃんは、 おっさんと呼び、 もっと嫌いな おっさんは、じじい と呼び もっと 嫌いな じじいは くそじじい と呼ぶと言いました。

しかし、私は おっちゃん でも  おっさんでも、くそじじいでも  どうでもよく、 必死に努力と言う言葉が、 嫌いでした。

なんとなく暗いんだよね。

漫画の 巨人の星の 星 飛雄馬 みたいで 努力して、 俺はスゴイだろう

みたいな感じがするんだよね。

だって、 高齢者になって、 必死に努力って  将来もないのに  なんでそんなに辛い事をやるんだろう。

高齢者になったら、 楽しみを見つけて、 人の相談を聞いてあげれば良いのに、 もしその人が、 重篤な病気だった場合、 必死に努力しろとは言えないね。

また、その人が、 精神的に参っている人だったら、 必死に 頑張れなんて言えないね。

私が2回目の95%死ぬヤバイ脳梗塞だった時、 普通の健常者の人が、

私に、 必死に努力して頑張らないと 治らないよ といったことがあります。

心の中で、 一生懸命にやっているんだけれど、 それよりも、 もっと必死になれと言うのかよ、おまえに ナニが解るんだ 必死に努力って、上から目線でものを言うな と 叫んでいました。

また、看護婦さんが一輪の花を持ってきた時、嬉しくて泣きそうになりました。

やはり必死に努力より、たった一輪の花の方が、勇気が出ました。

なんだか今日は 暗い話になっちゃったなあ。

次回はもっと、 楽しい話を 書きます。

必死に汚れた落ちない皮脂(ひし)   なんてね!

またねー。