花園神社 酉の市 福助と何か用か?

先週 新宿の花園神社で行われていた酉の市が、終りました。

私は35年以上、花園神社の拝殿や階段下の売り場で神社の熊手とお札を売っていましたが、その間、新宿4丁目に住んでいる80歳近い方と、一緒に売り場を担当させて頂いております。

その方は新宿4丁目に住んで居て、現在発展が著しい新宿南口 新宿高島屋の近所で、江戸時代から継続している豆腐屋の方です。

私は子供の頃からその方をよく知っていましたが、子供の頃は怖かったです。

私は60年近く新宿に住んで居てすべてとは言いませんが、新宿の事ならばよく知っているつもりでおりました。

しかし、その方の新宿の昔の事柄や人脈の広さ神社に対する考え方は、到底及ばないものがあります。

まずその方の喋り方には新宿の方言と言うか、新宿弁という物があり、浅草の様なべらんめえの、言葉でも無いし、かと言って山の手の言葉でもありません。 その方の喋り方は、なんというか難しいのです。

難しいというのは方言の訛りではありません。言葉の中に、判じ物の様な、言葉が出てきます。

たとえば、仲間同士で話をしていて、途中で人の噂話が好きな人が入って来たとすると、急に黙って私に 手で頭の後を押さえているしぐさをするのです。

私は一体何ですかと言うと、あいつは福助だからと言うのです。

福助って何ですかと聞くと、その方は、”え-、兄ちゃん、知らないの コレだから、サイキンのあんちゃんは、こまちゃうんダヨ” ”私は60近いですよ” ”最近生まれたんじゃねえか。”   ”おめえーが、親父の玉の中にいる頃にゃー、こっちは、豆腐屋で死ぬほど働いて、配給で配り歩ってたっつうの!  戦後ダカらっ! 休みもねえのっ!  小僧ダカらっ!  エンコやシンキョーにゃいけなくて、切なく、ジュクで、のたくっていたの ! 判ったか!!”

よくわかりませんが、どうも、(エンコやシンキョーにゃいけなくて、切なく、ジュクで、のたくっていたの は翻訳をすると、エンコは浅草のこと シンキョは新橋 ジュクは新宿 でウロウロしていたと、なるようです。)

”判りましたよ 先生 ”  いつの間にか先生と言っていました。  ”先生 だから福助って、なんですか? ” ”あっれ まだそんな事覚えてんの?  面倒くさいお人だねえー”  ”福助っつうのは、足袋屋のマークだよ、頭がデケー奴で、座布団に座って、頭下げて、土下座みたいなよおー 真似してんの、ナニ 謝ってのかご丁寧な人が居るでしょ。アレだよ。 福助の頭って知ってる?  髪の毛を後ろで、結わいてイルでしょー。 だから、後ろで結う 後ろで言うって 本人が居ないところで、ウシロで陰口をくっちゃべる奴の事!  符丁ダっつうの。 覚エトけっ!   判ったか!” ”あーナルホド”  ”コレだから、昭和30年ぐらいの生まれの奴と労働すると、疲れるつうーの ボクわー” こんなやりとりを、30年以上やっています。

数年前、先生の友達が、何か騒いで先生に寄ってきました。

先生の友達は5日6日(いつかー むいかー)と騒いでいます。先生は7日8日(なにかー ようか)と答えて、どこかに消えて行きました。

私の住んでいる町は、こんな町です。本当に疲れます。