奪三振

今から58年前の1955年の今日 金田正一が、当時、国鉄スワローズのピッチャーで、前人未踏の1シーズン 340奪三振という成績を残しました。

野球に興味が無い人には判らないと思いますが、現在の1シーズン中、投げる回数と言うのは、ピッチャーの人数が多いので毎回投げられると言う訳にはいきませんが、この当時には中1日でまた投げると言う、事も多々あったようです。

金田正一がスゴイのは、彼は在日韓国人です。その彼が、当時の日本で、実力を発揮した根性です。

ちなみに、野球のスコアブックで三振を K と書きます。なぜ三振を K と書くのか、はっきりとしてはいないそうです。

諸説あって、Struck の最後のKと取った説 Knockout のKを取った説 Killed 日本語では1死アウトのKを取った説が有るそうです。

日本で奪三振の王者は、阪神タイガースの江夏豊です。その数401です。

圧倒的な強さと、度胸が座った態度にも定評がありました。江夏は、狙った者から三振を取ると言う事でも有名でした。

金田正一の340奪三振を抜いたのは、西鉄ライオンズの稲尾でした。

当時 稲尾は、神様、仏様、稲尾様と呼ばれ、圧倒的な強さと人気でしたが、その稲尾が奪353三振を取った後、江夏は対ジャイアンツ戦の時に 王選手が回って来るまで、三振を取らず、王選手が打席に入った時に、記録更新となる354個目の三振を取り、試合後のインタビューで、王選手を奪三振で取るよりも前のバッターから三振を取らない事の方が難しかったと、物議をかもした事で有名です。

しかしこれらは、随分前の話で、現在は、ダルビッシュ もしくは田中マー君でしょうか。

今の選手は、金田正一や江夏豊 稲尾のように何となく泥臭さは無く、いわゆる天才で、さわやかな感じがするのは私だけでしょうか。

最近スポーツ根性は、はやらないのでしょうね。 この歳になると、巨人の星の星飛雄馬が懐かしくなります。

どなたか、オトレンでスポコンの様に練習をして下さい。

そして江夏の奪三振401を超える音楽コンクールの優勝回数を402回 取って下さい。永久無料にします。