キューバのバクダン焼酎

ニュースでキューバの製薬研究所から職員が実験用アルコールを盗みだし、酒と偽って路上で、売り払い11人以上が無くなったと報道がありました。

戦後、日本でもバクダンという名前の焼酎を飲んで、多数の方が目が見えなくなったり、亡くなった方が多数いました。

バクダン焼酎と言われ、原料は石油燃料の代替で製造されたエチルアルコールに、水を混ぜわざとメチルアルコールを混ぜて桃色にしたものです。エチルアルコールは、害が無いアルコールです。しかし、メチルアルコールを入れると、飲んだ時には、中枢神経系統、特に視神経がやられ失明 激昂、精神不安定、呼吸困難が起こり死亡することがあります。

酒飲みというのは卑しいもので、酒が無いと、気が済まないもので何とかエチルアルコールだけのメチルアルコールがまざっていないものを手に入れようと躍起になり、手に入ると水で薄めて酒粕を入れ、布で漉して糟取り焼酎などと称して飲んでいたようですが体にいい訳はありません。

だんだんエチルアルコールだけの物が手に入らなくなりメチルアルコール入りは燃料としてありましたから、メチルとエチルの沸点の差を利用してメチルだけ飛ばしたものを利用して糟取り焼酎を作っていたようですが、不完全な作り方をすると目が潰れたり死亡したりする訳です。

そこで巷では、メチル「目散る/命散る」と言われていました。分別もある文化人も、結構飲んでいて目が見えなくなったり、亡くなったりしました。

私が生まれた昭和30年代の頃には、町の中に傷痍軍人と言われる人達がいて大体が2人連れで白衣を着ていました。

片方がアコーディオンを弾いて、片方が四つんばいになり、缶詰の缶を目の前に置いて通りすがりの人にお金をめぐんで貰うのですが、戦争は昭和20年に終わったのですから、いくら何でも昭和30年代に傷痍軍人がいる訳は無いと周囲の大人たちは思っていました。それでもやはり、大人たちは空き缶にお金を入れていました。

四つんばいになっている片方の傷痍軍人は大体が眼帯の上に黒眼鏡をしていました。子供ながらに、「あれは目散るで、やられたな」 と思いました。

その傷痍軍人がしていた、タスキには、シベリア帰りで助かったのは私たち2人です。日本の皆様の情が嬉しい。と書いてありました。

ある日、私と友達はその傷痍軍人を陰からずっと見ていました。傷痍軍人は場所を移動しながら、最初、新宿駅の東口のその当時、今のスタジオアルタがある場所に二幸というデパートがありその前で片方がアコーディオン片方が四つんばいの役をやって、1時間ぐらいして伊勢丹の横に、新宿の母と言う占いのおばさんがいた横に移動して、今度はアコーディオン役の奴が四つんばい 四つんばいだった奴が、ハーモニカになり、さらに1時間ぐらい経って、新宿三丁目の末広亭の横に行き、四つんばいとハーモニカ 次に花園神社に行きまた同じように役を替えながら、場所を移動していき、子供ながらに随分と空き缶にお金が入ったなあと感心したものです。その2人は移動中 バクダンらしい焼酎を飲んでいました。

あるとき、うちの親父に靖国神社に連れて行って貰った時、その傷痍軍人がいて、タスキにはインパール作戦から帰還が出来ました。でも私には、靖国の桜を見ることが出来ませんと書いてあり、思わず親父は泣きながら空き缶に1000円札を入れました。

他の人たちも、空き缶にお金を入れていました。私は、アイツら、この前、タスキにシベリアって書いてあって、今日はインパールて書いてあって、シベリアとインドは真逆じゃん。「お父さん アイツら目散るだよ」と言いましたがうちの親父はいいんだと言って、靖国神社に参拝をして帰って来ました。多分うちの親父も、靖国神社に来ていた人も、傷痍軍人の格好をした奴が、靖国神社に来ていて、何か考えるものが有ったのでしょう。

今、私が傷痍軍人の格好をして、音練の前でアコーディオンを弾いていたら、どうなるでしょうか? 多分、警察に通報されるでしょう。アホらしいので考えるのを止めますが、今日は、愛媛県の超有名な、かすとり焼酎が あると言うので何とか探して飲み、あの傷痍軍人を思いだし軍艦マーチでも聞こうと思います。

多分、明日は、パチンコ屋に行きたい気分になるでしょう。