和菓子の恩

昔、卒業式となると、仰げば尊しと言う歌を皆で合唱をしました。

その歌の中で、我が師の恩という箇所があり、私は小学生の時、和菓子の恩と思っていました。

今日の朝、私の携帯電話を見ると、昔の中学の時の恩師から留守番電話が入っていて、数学の教師だったY先生が亡くなったと連絡があり驚きました。通夜と告別式は同時に行い、今日の午後2時というもので、なんでそんなに急にやるものかと、また通夜と告別式を1日のうちに執り行うというので焦りました。

同級生にも連絡をしましたが今日の2時というのも無理があると言われ、それもそうだと思い自分1人で行くことにしました。

その先生は私の担任だったこともあり、思い出が沢山あります。今の中学の教師と比べ物にならない程、破天荒で温情深い方でした。

その先生は新潟県長岡出身で、授業をする際にも、訛りがあってよく聞き取れませんでした。私は先生の訛りがきついと文句を言うと、その先生は、私は正しい日本語を喋っている。ただしイントネーションが違うだけだと言っていて、よく聞くと、たしかに、そうでした。

またその先生は、授業に竹刀を持って来て、授業中、おしゃべりをしている者、寝ている者、早弁をしている者を竹刀で、本当にぶっ叩き、今だったら教育委員会で審議をされるところでしょうが、当時の親は容認をして、うちの子供が馬鹿な事をやった時にはどうか殴ってくれと言っていました。今の状況とまったく違います。

その先生が廊下を歩いて教室に入って来る時に竹刀で廊下を叩きながら来るので、生徒達はアセって、早弁をやめ、おしゃべりを止め、先生の受業をおとなしく聞きました。その先生の受業は面白く、かつ、要点を教えてくれたので、ただ暴力だけの先生ではありませんでした。

ある時、私が他校の中学生と問題を起こし、四谷警察に呼ばれて事情聴取を受けているときに、その先生が涙をこらえながら腰を90度に曲げ私を弁明してくれた姿を見た時には、なんて自分は馬鹿な事をしたのだろうと。本当に思いました。

警察の取り調べの後、学校に戻り、職員室で、他の先生方、校長、教頭にも、謝ってくれて、私の親も来ていていました。私は親父に殴られましたが、その先生はこの子はもうすでに反省をしていますから殴らず抱擁をして欲しいと泣きました。

その時は多分午後11時半を過ぎていたと思います。お腹がすいていた私に先生が自分のお茶と饅頭を私にくれて食べました。

今思えば、我が師の恩と、和菓子の恩を頂き、最後のお別れのご挨拶が出来て、本当に良かったと思います。

合掌