オトレンブログ
音練 社長 ひとりごと 平成28年12月12日
投稿日:2016年12月11日|最終更新日時:2024年3月18日|カテゴリー:日々徒然
♪ 槍は錆びても この名は錆び~ぬ 男 玄蕃(げんば) の心意気 ♪
♪ 酒は呑んで~も 呑まれちゃなら~ぬ 武士の心を忘れる~な ♪
314年前の12月 忠臣蔵でお馴染みの 四十七士が本所 吉良邸に討ち入りをしました。
冒頭に書いたものは 昔、三波春夫 先生が歌って、大ヒットした 俵星玄蕃と赤垣源三
の歌詞です。
いいですねー。 年末になると、やたらと、忠臣蔵を見たくなり、三波春夫先生の歌が聴きたくなり、熱燗でキューッと一杯やりたくなります。
私は 三波春夫先生と呼んでいます。
なぜか?
あの時代 昭和30年代から50年代にかけて、テレビに出ていた歌手は皆、アメリカナイズされて背広にエナメルの黒靴 歌は甘い歌詞や失恋ものばかり 先生は全く正反対で歌舞伎の演目に出てくるものを歌い、あの粋な着物の着方 出で立ち、派手な立ち振る舞い 歌詞がハッキリ聞こえる正確さ 声量の豊かさ、他の歌手と明らかに違うスタイル そして、他の歌手が絶対に歌わないであろう歌。 今はピコ太郎が若い人に受けて、中年以上の方にナニが面白いんだと思われていますが、当時は、先生が中年以上の人に受けて、若い人には、なにか変でダサいと思われていました。
しかし日本の伝統のみに重きを置く形が、他の歌手と棲み分けが出来ていて、真似しようにも、三波春夫先生が確立してしまったものだから、すべて、三波春夫のマネだ。 偽物だ。と言われ、それでも、マネをした者も居ましたが、基本が出来ていなくてすぐ消えました。
三波春夫先生は元は浪曲師で歌の間に入る、語りも素晴らしく、今、見てもしびれます。何か、高揚するんだよね。
あっ もう一人 凄い先生が居ました。村田英雄先生です。この先生の事も、近いうちに書きます。
昔、親戚のおばさんと新宿のコマ劇場だったか忘れたけど、連れて行って貰って舞台を見たけど、子供ながらに、この人は暖かい人だ。 本物だ。 誠実な人だと感じちゃったなー。
それから、観客のお婆あさん達 (見た感じは50歳くらいから85歳くらい) が興奮している異様な感じが伝わって、
まさか、うちの親戚のおばさんもと、心配して顔を見ると、顔が紅潮しちゃって、ブッタマゲタ思いがあります。
三波春夫先生の歌を聴くと、高度成長期の日本を思いだし、大阪万博の歌も先生が歌い、あの頃の日本は公害だ、日本列島改造だ、ナンセンスだとか 学生運動だ。連合赤軍だとかありましたが、夢もいっぱいありました。
サラリーマンの給料もどんどん上がって、新幹線のスピードもどんどん上がり、海外旅行は盛んになり、近所の人がハワイ旅行に行って自慢するし、マイカーがどんどん増えて、高速道路がいっぱい出来て、地方都市に新興住宅地がたくさん出来て
おまけにミニスカートが流行りだして・・・・これが 一番イイじゃん。
そういえば、三波春夫先生は、お客様は神様です。とか 1円でも多く税金を払いたいと
言う言葉を残し、世間を驚かせました。 エライ! なかなか 言えないよ。
これが私が先生と呼んでいる所以です。私は税金はあまり、払いたくないけど。
先生は亡くなって、神様になっちゃった。
今日も、先生の歌を聴いて、日本酒を頂きます。
もちろん、先生の大ヒットでもある、チャンチキおけさ です。
♪ 月がわびし~い 露地裏の屋台の酒の ほろ苦さ 知らぬ同士が
小皿たたいて チャンチキおけ~さ ♪
クッーー~ しみるね~。
今日は、うちで呑むのはヤメ 屋台で呑も。