華燭の典 そして、 人生の戦いと落とし穴

5月の連休に、オトレンの美人スタッフが結婚をしました。

そのスタッフさんは、他のスタッフ同様、日本で一番の音楽大学を卒業し、現在も音楽の勉強を一生懸命、続けている方です。

私は親でも無いのに、親の気持ちになって、相手が変な奴だったら、絶対、嫁になんか行かせないぞと、意気込み と、言っても、親戚縁者でも無い私が、そんな事を言っても、無駄と判っていますが、披露宴会場にカミさんと他の音練美人スタッフと行きました。

どんな野郎だと、会ってみると、これが、好青年のイケメンで、聞けば、2、3年前にお父様を亡くし、苦労したようです。

その後、うちの美人スタッフをゲットする為に、涙ぐましい努力をして、超一流の会社に入社して、頑張っているようです。

私は、ちょっとホロッとし、披露宴の最後に、お父様の挨拶と言うことで、亡くなったお父様が、以前 新郎の兄弟が結婚式をした時に撮ったお父様の挨拶のビデオを流し、私の涙腺は壊れました。

この青年も、亡き父親の挨拶を聞きながら、新しく伴侶になった人への愛を誓い、親への感謝を述べ、私は良い結婚式だったなと、帰宅しました。

と、ここまでは、感激の結婚式の感想。

さて、我が妻と一緒に撮った写真を見ると、使用前、使用後というか、随分 くたびれた老夫婦が写っており、このカミさんにも苦労をかけたけど、俺もよく、やって来たなあという、感慨深いものを自覚させられ、私が結婚をして、今までの事がランダムに思い出しこの若い夫婦もこれから、いろいろ有るだろうなあ などど想像すると、 ふと、私の場合には、どうだったかと言う事を思い出しました。

私も一応、人並みに結婚式は挙げましたが、その後、人生の荒波が襲いかかって来るなど、夢にも見ず、兄貴はその時の2.3年前に死んでおらず、その後、お袋、親父が死んじゃって、商売自体が傾きかけ、金融機関が心配になって飛んできたり、問屋関係が何となく冷たい態度を示し、親父の葬式の時には、問屋関係は1人も来ず、皆、うちが潰れるだろうと、親父が生きていた時とは違って手の平を返したように離れていき、そして頼りにしていた税理士の先生が急死したり、長年うちで働いて頂いた年寄りの番頭さんが亡くなり 頼りになるのはカミさんと、小さい子供達だけ。

世間はそんな私を理解せず、商売以外の クダラナイ用事(失礼) 町内会の役員 幼稚園の父母会会長 小学校のPTA会長 消防団 、神社関係に出ろと、言って来て、その時の私は、そんなクダラナイ事をやっている時間は無く、傾いた稼業を立て直さなければならないと思っていましたが、私はどうせ地獄の中にいるのならばと、全部、引き受けちゃいました。

よく、うちのカミさんも、私について来てくれたものだと、感謝しています。

ここで、うちの美人スタッフと結婚をした、幸運な若旦那 良く聞け!

結婚後に落とし穴があるぞ。クダラナイ事を押しつけられるぞ。

そして夫婦は、何となく似てくる。

仲良く、一つの皿に盛りつけた煮ものを食ってくれ。

似た者夫婦が にたものふうふうー なんちゃって。