瞑想と東京タワーとゴジラ対モスラ

私の息子が、ある大使館の柔道場で知り合った京都の大きなお寺のお坊様が、座禅会をすると言うので私も一緒について行って参りました。

その座禅会には外人の方もまじって、お坊様が日本語と英語で座禅のやり方や、心の持ち用を説明して頂きました。

そのお坊様が言うには、瞑想を始めるといろいろな事が、頭の中に浮かんでは消え、浮かんできた物事に心を捉えられてはならず、例えて言えば汽車に乗っている自分の姿を想像し、色々と浮かんできた物は風景のように見てやり過ごし、ナニも考えないことだと言っておられました。

そんな事言われても、出来る訳はありません。

私の隣に居た外人の男の人は、お腹が減っているのか、やたら、グーグーお腹が鳴っているし、足が痛いのか小さい声でァ-ォなんて言っているし、私は色々な考え事が出てきて、汽車に乗って風景をやり過ごすような器用な事は出来ません。

頭の中では、今日の音練のブログで何を書こうかなと思って調べた東京タワーの事が頭から離れず、55年前の今日、東京タワーは完成をして、怪獣映画のゴジラ対モスラで派手に東京タワーが壊された事を思い出し、またザ・ピーナッツが歌う

♪ モスラーやモスラー ♪の、歌が頭の中をグルグル駆け巡り映画の中で、村人が怪我をしても、トマトジュースの様な物を飲むとたちまち元気になるという不思議な飲み物を思い出し、座禅が終わったら、トマトジュースを飲もーっと などど考え あの映画はホントに面白かったなー、昔の怪獣映画ってホントによく出来ているよ! などと、座禅を組みながら思っていました。

時間が来て座禅が終り、お坊様は感想を聞かせて欲しいと言い、外人さんは、座禅を組んで頭がスッキリして商売がうまくいきますかと言い、もう1人の外人さんは、こんな事で、頭の中がスッキリして集中力が付くのかと懐疑的でした。外人さんは、物事の考え方は直線的だよなーと思いました。

私の番になり、私はまさかゴジラ対モスラの事を考えていたは言えず、溜まっていた仕事をやる気になりましたと、座禅とはまったく関係のない事を言ってしまいました。

そのお坊様は次回に機会があれば、また座禅会をしますと言われましたが、どうしようかと迷っています。

こんな私でも、座禅をして頭がスッキリして集中力が付いて悟りを開けるのでしょうか?

私の場合、お酒を飲んで酩酊状態の方が悟りは開けると思うのですが。