スタン・ゲッツ
彼の曲を始めて聞いたのは、高校2年生の時でした。私の兄がスタン・ゲッツのレコードを持っていて、兄が留守なのを良い事に、兄の部屋でそのレコードを聞き、随分と大人っぽいものを兄貴は聴いているものだと思いました。

兄と私は対照的でした。当時、兄は国立大学の学生でしかも一年間、授業料免除の優秀生でした。私は新宿体育館の裏にある私立高校生でした。私はコンプレックスの塊の様な高校生で何かと兄と比較をされ、人からはあの家は兄貴がいるから何とか続くだろうが、心配なのは弟が財産を食い潰さないか、などと目の前で言われた事があります。

高校生だった私には、結構ショックでした。その私が、道を踏み外さずヤクザな人生を歩かなかったのも、兄のおかげでした。ここでは、兄と私の会話は書きませんが、かなり激しいものでした。しかし、私が大学に入れたのも兄のおかげです。

私が大学3年から4年になろうとする時に兄が雪山で亡くなり、数年後、母親、父親が続けて亡くなり、どうやって生きていけば良いのかと迷っていました。その時には、あの時の、弟が財産を食い潰すぞと言う声が聞こえてくるようでした。

当時、カミさんと結婚をしていたので、何とか2人で仕事を続けて行くことが出来ましたが、あの時は本当にどん底でした。
話をスタン・ゲッツに戻します。すみません。
スタン・ゲッツの曲を聴いて最初に感じたのは、何か大人っぽく都会的だけど、けだるい感じで、小洒落た飲み屋で女を騙しているオッサンの姿を思いました。レコードのジャケットを見ると、サックスを吹いている白人の姿があり、その時には、アメリカではこういうオッサンが都会的なケダルイ感じでボサノバをサックスで吹いて、その曲を聴きながら、アメリカの小金持ちのオッサンやスネカジリのアンチャン達は、おネエちゃんをダマシているのかなと、高校2年生の私は思ったのです。

若造の考えで、笑っちゃいます。でも調べてみると、スタン・ゲッツも、ケッコウな不良だったらしいです。麻薬に手を出して麻薬を買う金、欲しさに薬局に拳銃で強盗に入り、警察に逮捕され、刑務所にぶち込まれたり、ヘロイン中毒で病院に何回も放り込まれたりしていたと言います。かなり生活が荒れ、手が付けられない状態だったらしいです。

一時的にジャズから遠ざかっていましたが、その後、ジョアン・ジルベルト アントニオ・カルロス・ジョビンと共に活躍をしてグラミー賞 4部門を独占するという快挙をしました。

その後、スタン・ゲッツは麻薬中毒から、アルコール依存症 ヘベレケのアル中になり、64歳で肝臓ガンで亡くなりました。

スタン・ゲッツは本当に才能のある逸材でした。彼のサックスの音色に何か影が感じられます。どん底を這い回っていても、人前ではクールにしている感じがします。不良のかっこよさでしょうか。今では、サックスと言えば彼の名前が絶対出てきます。孤独だったのでしょう。
ここで、私は思いました。世の中に認められた芸術家は、麻薬中毒やアル中になって早死にする人がたくさんいます。

到底、私には出来ません。私は、音練に来てくれる人を大事に、音練のスタッフを大事に、家族を大事にすることしか出来ません。

と言うことで、今日は、スタン・ゲッツの曲を聴きながら、ミルクでも飲んで、アメリカの小金持ちのオッサンやスネカジリのアンチャン達の様に、おネエちゃんをダマシている夢を見ます。年寄りの考えで、笑っちゃいます。